昭和52年07月16日 朝の御理解



 御神訓 「道教えの大綱」
 「生きても死にんても天と地とはわが住みかと思えよ。」

 仏教の言葉で大悟すると言う事を申します。大きく悟ると。教祖様の教えて下さるご信心の中にはこうした死生観、もうこんなに簡明に説かれておるのは他にもいろ々説いてありますけれども、結局生きても死んでもこの天地の親神様のお懐の中であり、またおかげを頂かなければまた立ち行かんのだと。魂の世界に入ってもこの世に在っても同じ様な事が言えるのだ。
 ここの所が様々な信心を、例えばお道の信心をさせて頂いて教祖の教えておられる事が一つ一つ本当間違いがないなと言う体験、いわば教祖様は嘘を仰っていない、ちっとはオ-バ-じやないじやろうかと言う事はない。もう教祖様の御教えが本当に間違いがないと言う事を実証して行くのが、私供信者としての使命でも言はばあるわけです。ですから様々な教えをとうしてです、こんなにも間違いのない教祖様のお言葉と言うものが信じれて初めてわかる私は御教えだと思うんです。
 成程生きても死んでも天と地とは我住家と思えよと仰る様な事は、死んでみらにゃ解らん、解らないけれども他の教祖様の御教えを実証さして貰い、教祖様の御教えを頂いて証しを立てて行くかの様におかげを頂いて行く事は、取りも直さずこう言う素晴らしい死生観がひらけて行く事になるでしょうが。教祖様は嘘は仰っていない、一分一厘間違った事は仰っていない。だからこの御教えだって生きても死んでも天と地とは我が住家と思えよと言う様な心の状態。
 だから生きてもおかげなら死んでも又おかげと言う様な、大きく悟らせて頂く事が出来るのです。それを信じて又いつも安らいでおられるのです。昨日は富久信会でしたから昨日の朝の御理解を頂いて、それからいろいろと昨日のあのガラス張りの御理解ですね、を中心にして話を進め又は聞かせて頂いたのですけども、最後に文男先生がこう言う事を言っとります。
 福岡の森下産婦人科の院長であります、森下先生が文雄先生から私の話を聞いて、合楽の先生と言う人は、中興の祖的な人物だなと言う事です。そう言う事を言われたと先日話しておりましたが、それはどう言う事からかと言うと、これは私もわからない。親先生の気持ちは私も分からないけれども、こう言う事がありましたと言うてお話をしとります。あちらの三番目の息子さんが肉腫癌で病院に入院された。
 所がそれは肉腫癌でなくて肉腫と言う事が分かった。もう百のものが百大体死ぬる事になっておる。九九パ一セントは死ぬる事になってる。あと1パ一セント残っておるなら、もしあるとするなら、奇跡があるだけだと言われる程しの言わば大病であった。時にうちの親先生が言われるのは、自分の息子だから私はあの時にああ言う様なお取り次が出来た。言うならば平然としておられた、けどもしあれが信者の子弟であったらああもいかなかっただろうと。
 と言った様な言うならば我が子もなければ人の子もない。いやむしろ我が子の方を軽く見ておられるけども、その今日の御理解で言うなら、その死生観に立っての事であるから、その時の私の心境と言うものがそう言う状態で、まあ坦々と息子のそういう言う難儀な問題を目の前にして、まあ慌てんで済んだと言う事です、ですから色々と深く勉強をしとられる病院の院長さんともなるお方ですから。
 しとられますからそう言う大変難しい院の事が分かられて、そして言うならば会楽の先生と言う方は、そんな方でだろうと言う事であった。ある難儀な問題でこの頃から大変なおかげを受けられて、文男先生がその時言ってましたけど、何日頃かにテレビでお話しをなさると言う事でした、昨日私此々に出てくる前に着物を付けながら何気なしにテレビのスイッチを引いた。
 引いた途端にその森下先生の漫画が画面一杯に出たのです。あらこの人は見た事ある人と思いよったらその森下先生がお話しになる所でした。まあ十四、五分も見とったでしょうか、その話だけ聞いてこちらに出て来たのですが、して研修さして頂きよりましたら、その森下先生の奥さんが、しい車を買ったからと言って、お払いを受けに来たとと言ってお参りになった。
 私は今日はお宅の先生のお話をテレビで見させ頂んですよと、いや実はうちの先生も今度壮年大会があるというので、その時は是非一っお引き寄せ頂きたいと言っておりますから、どうぞ宜敷く言った様なね。もう私は合楽の場合はいつでもそう言う嘘の様な話が毎日続いておると言う事ですね。その関連性と言うかね、一年に何遍しか参って来る様な人じやない。
 それに丁度文男先生が言っておられた、その森下先生の話を効いた途端に画面一杯に森下先生の漫画が出てそしてすぐ森下先生の話がはじまった、本当にあの時にもし心配事、悩みごとがいまに続いておったら、あんなに落ち着いて話しは出来なさらんかったぢろうと私は思いながら効いたんです。昨日は鐵斉の書いた書を、お供え頂きました。時価四千五百万円するそうです。昨夜もう済んでからてすからもう夜中にそれを観賞さして頂いとりましたら、嫁が改まって出てきました。
 今若先生が大変苦しんで物もでらんごとなっとります、すぐお願いして下さい。実は昨日今度の新聞の奇跡シリ一ズが満1年続きました。それで最後に先っきから話が出ております、幹三郎の肉腫がおかげを頂いた話を取り上げて、私と家内の話をその時の模様の話を聞きたいと言って、私の部屋に竹内先生と幹三郎とやって参りました。合楽だよりの編集を二人でやってますから。それでその時の模様を改めて思い出させて頂いて、まぁしかしあの時は大変だったなあ、毎日百名からの人達のお届けがあっておった。
 そしてそれを三方に山の様に積んでそして丁度四十日間毎日勢祈念です。もうあの時ほど、丁度その半ばに高橋さんがお届けに出て見えましたから、その時の模様を言っておられましたが、あの時程合楽の信者が打って一丸になった事はなかったですねと言ってその時の模様を、私や家内の話だけでなくて御信者さんの、なら高橋さんの声とか信徒会長の話何かもそこに挿入するといいなと言って話した事でしたけれども。
 もういよいよ死なれると言う事に決まっておりましたからもう御信者さん方がもうありとあらゆる、もうどげなおごちそうでも、なんぼ金が掛かってもよい、おごちそうを食べさせてど素晴らしい着物でも着せてやりたい、テレビも贈りたい小さい応接セットもお供えしたいもうとにかくあの人の病院に一等室を富永先生のおかげで入らせて頂いて、もう下はうちから持って行っておる赤いジュ一タンを敷き詰めて、そしてまるかし高級マンシヨンの様な感じ。
 昨日言っておりましたが最高の寝間着なんか八枚も頂いとった。もうありとあらゆるこの世で見とかねばならぬもの、聞いとかにやならぬもの、食べとかにゃならぬものと言った様な心使いがいっぱい、もう病室にあふれとった。私も丁度その時に古川隼人先生、豊美のところのシユウトお父さんですが、亡くなられて一年祭がございまして、夫婦でご案内頂いとったから御本部へ参拝しなければならない。学校の方では丁度十月でしたから修学旅行でした。ですから一人一人の検診がある訳です。
 その時に医者がビックリした。こりゃ只の病気じゃない、こんな人は連れていかれないと言う事で、それを聞いて高校の受け持ちの先生がもう散々に私に電話をかけてこられて、病院にかけて貰うですかどうですかもう吃問でした。その日に西見先生、小野先生、そすとその学校の担任、担任と言うか受け持ちの主治医の先生と三人で、言わば神様の御都合と言うのは嘘のようでしょう。三人が三人同じ日にあの幹三郎が只の病気じゃないと言うて西見先生が小野先生に電話を掛けてきた。
 小野先生が此々に大変喧しく言っていくら神様、神様と言うてこんなのをこのまま放ったらかしてと言うて、言う来た事がありました。その日は丁度美登里会が十月十六日の御大祭の後に、家内を中心に温泉にいっも一緒にいきます。それが帰ってきて私は丁度控えにおりましたら美登里会の方達が皆私の部屋にやって参りました。その時に私が今日はね実は病院の先生が三人こう言う幹三郎の病気はただの病気じゃない、こう言う事だと言う事を言われたのだけれども、私の心が一っも動かないと言う話をしたんです。
 そしたら亡くなられましたけど野口さんがもうそのまま立って、そのまま小倉に行かれたんです、そして自分の娘婿のこれはもう耳鼻科の先生ではもう九州では権威と言われる程の先生です。それで富永先生がもうその晩の内にやってこられました。丁度たまたま高芝さんが何かでお願いに見えとりましたから、富永先生と懇意な仲でありますから、高芝さんあんたが立ちおうて診察があるからあんたが立ち会うて呉れと言って私は入りませんでした。高芝さん一人が立ち会ってされました。
 もう口を開けさせて見られた途端に、顔色がパ一と変わったそうですね富永先生の。それを昨日幹三郎が言うんです。これは私の病気は只ごとじゃないと思ったとこういうのです。そして高芝さんにその事を懇々と言われて、早速病院には私の後輩もおるし元久留米医大に勤めていたから病室も一等室を取って、もうこの先生なら最高と言われる先生に御相談をして頂いてそれからとにかく入院と言う事になったのです。
 私共が御本部参拝をすると言う時も修学旅行に連れて行かれんからね、お父さんとお母さんが御本部参拝をするからお前も一緒にご参拝したらどうか。そして都合によったら四国あたりまでぐりっと回ってこうじゃないか。親には親の気持ちもあるもんですから。それで御本部参拝をさせて頂いた時なんかも、福岡に着きましたら福岡の信者も皆な集まっとりました。幹三郎さんが言うなら最後の御本部参拝と言うのですから。
 ですから最高の支那料理のこんなご馳走僕は食べた事ないとごと言う様なごちそうを幹三郎のために、汽車のいく何時間か前に行っとりました。そして博多の方を少しまわってもう幹ちゃん何か食べんかと言うてから、なら僕はライスカレ一を一寸と食べようごとあるて言うてから、ならライスカレ一の美味しかとこに連れて行こうと言って私共は親子三人汽車に乗せて頂いてこれが最初の最後の旅行になるかも知れないて言った様な気持ちでまあ御本部につかせて頂いた。
 早速金光様にもお取り次ぎを願いそれで奥城でも、お知らせを頂いてけどあの時に丁度金光家の方々とご一緒に式年の後の御直会を頂ける時に丁度金光様がここに座っておられるなら、その次に私共が座ってその次に幹三郎が坐っておられた。五代金光様とご一緒に会食をさせて頂いて、もう本当にもう言う事はないと、言う様なおかげを頂いてなら、四国辺りでも回ろうかと言うたら、いや僕は行かんと言うて、それから博多駅に着かせて頂いたらそのまま自覚症状がないのですからね。
 ですから九州を回らせて頂く準備しとるからこのまま行こうとこう言う。僕は行きたくもないもう帰りたいと言うから、そのまま帰ってきた様な時の話を、ありありと四十二年でしたからまあ十年近くもなりますか、もうその時の事を思い出して皆さんの勢祈念で私のお取り次ぎと言う事がです、もう本当にその時幹三郎が申しますけど死と言う事が全然恐怖じあなかった。もう手術室に入る時僕は坦々として僕は入った。あぁこれが神様のおかけと言うのであろう。
 これが親様の祈りであろうと思って手術を受けたと言う事を言っておりますがね。もうそれこそ世界中で一人だそうです肉腫であのおかげを頂いたのは、だから退院して帰って来る時にはわざわざそのために学会が開かれたと言う事です。もうその手術をしてたまがられた事は、上からと下からとがもう時間を争う様にこれがもう一寸放つといたらどちらかに落ちると言う、そのいっぺん散っとったのが全部ここに集まってしまっておると言う程しの事だったそうです。
 それは私の説明ですからよく分かりませんけど、私に分かりやすく説明して下さったのがです、丁度集まってしまっておるのをガバート取ってしまったと言うのです。だからこげんスッキリした事はなかった、それはないと言はれる程しのおかげを頂いた。その時の彼が入院してその後の朝晩の御理解、皆さんが一生懸命御祈念をなさる、その時の御理解を全部その時分のを集めて全部聞かせて頂いたと言っておりましたが、私の気持ちが私の心の状態が日々の御理解の中に何もない事かの様にして、お話が出来ておる話を聞いてまあ言うなら信心に依らなければ出来る境地じやない。
 それも教祖様の御教えがこんなにも間違いのないと言う事をおかげの上で実証させて頂いておるからまあ今日の御理解で言うと、生きても死んでも天と地は我が住家、それは生きとる間は成る程そうかも知れんけども死んだらどうなるか分からんと言った様では分からん実際は、けどこれ程間違いのない事を教えておられる教祖様のお言葉であるから間違いがないと信じられる所にです。
 ならああ言う心の状態が私が開けた、私が開けたから昨日家内、もう先生がまあ言うなら淡々としておられるから私も安心しておったとこう言う。同時に病院から毎日お日届けに家内が参拝して参りましたし、幹三郎も今申します様なそうした普通では考えられない様な境地、家の中でも中心が本当に喜びと安心のおかげ頂いとったら、どんな心配事が起っても周囲の者に心配は与えないと言う事ですよね。
 昨夜そう言う夜中に鐵斉の書を床の間にかけてそれを観賞しとる時に、嫁が若先生こうこうですと言ってお届けにきました。そしたら鐵斉の書の中に真と言う字が入っているのです、直と言う字を書いて点々ですのね、真、その直と言う字を頂いて点々がね、このバラバラになっている所を頂いた、日頃信心が言うならばす直であっても真でないと言う感じなのです。これじやほんなこっちゃない。その事をおわびさして頂きよったら士農工商と言う事を頂いたんです。
 それが普通で言う士農工商でなくて、士農工商と言うのは士は死のうの死です、農と言うのはノウノウと言うでしよう英語で、例えばこれは光昭の事を言われるわけでしょうけれども、例えば信心が出来んならいくら神様が計画をなさって士、農、工、商と言う事は、もう世界総氏子が助かると言う意味合いに繋がる訳です、士農工商が助かるんです。もう士農工商の中に人間のと言う全部が入ってしまうのです。けど信心が出けんならもうノウノウと言う事はもう使わんと言う事です。
 如何に神が士農工商と言う積りでこの合楽教会に四人の子供を授けたが、それが言うことを聞かんごとあるならばもう死と言う事になる繋がると言う事でする。士、農、工は孝行の孝の字と頂いた。商は小さいと言う幹三郎の事、を頂いたまだ幼い、幼いと言う事じゃないでしょうか。だからこう言う神様の御計画の下に、神様の心がころまま合楽の教会に現れておると言うてもです、ならこれは私でもそうです、こんなにおかげを頂いとると言うても、いつ神様からお暇が出るかも分からんのです間違うたら。
 なら若先生の場合でも士農工商の、士と神は思うとるけれども、なら真を疎かにする様な事、信心を疎かにする様な事になったら死に繋がると言う事。士農工商である所のなら光昭がです、信心を疎かにする様な事であったんでは、ノウノウである。使わないと言う事、必要じゃない、いらんいらんと言う事。そう言う、言うならば信心とはある意味で大変厳しいものなんです。そこでなら私が教祖金光大神の御教えをです合楽理念に結集、纏めて助かりの理念を皆様に言っておる。
 これが昨日富久信会の時に結局は合楽理念の話が出るんです。その話をしておったらある人の所まで話が来た時に、合楽理念と言うものをです、ネズミが来てこうかじりよる所を頂いた。合楽理念を崩すと言うか合楽理念をかじる。例えばよく言うでしょうかじったばかりですとよく言うでしょう。と言う事は却って御無礼と言う事です。本当に合楽理念をマスタ一しょうと言う意欲をもってかじるなら是は又別です。けどこの位解っとけばよかよかと言う事では丁度それは合楽理念を汚す様なものだ。
 昨日むつやの信二郎さんが申しとりましたが、今一生懸命修業が出来てます。一日時の夏期信行にも一日も必ず欠かさず通ってくると言っとります。所が先日から長崎ですか雲仙で展示会がありました。もうどうでもこうでも来て呉れと言うから夕方から行きました。そしてあちらでその用を済ましてその翌る日、とにかく朝九時に発てば丁度こちらの一時の御祈念に間に合うと思っとったけれども前の晩飲んどったか何かでしょう、起きれずについ熊本まで行って遊んできたわけです。
 そしたらその晩御夢を頂いてから、試験があったけどその答案用紙を先生の前に持って行ったら落第ち印をぱんと押された所を御夢に頂いたとこう言うんです。私は素晴らしいなあと思いました、もうあれが落第に落第を重ねとるならもう神様は構いなさらんです。けれどもたった一遍のそのそう言うだから本当に自分が夏期信行を一日だって疎かにしない、どんな用件があっても用件に言うならこじつけてもう御無礼しとる。
 自分がもうちよっとその気になっとったら一時の御祈念に間に合う様に帰れたのに。たったその一事をです神様は落第点として、印ば押さっしやったと言う発表をしとります。ですから神様のね間違いのない教祖様の御教への間違いのない働きを表わすためにはです、神様の御教えを右、左にする様では、そんな間違いのない働きは生まれてこないし間違いのない働きが生まれて来ないとするならです。
 観念的には分かっても死んでも生きても天と地は我が住家と思えよと言う様な、言ならばです、窮極の所言ならば死生の安心を得るための宗教だと言っても良のです、信心とは。頭で分かる感じて分かると言うのでなくてです、もう愈々自分の息子が今日出たらかえって来る時には御遺骨になって帰って来るかも知れんと言う場に立たされてもです、それを平常心で受けられておったと言う事は、おかげを受けておると言う事と同時にです、教祖様の仰っしゃる事は一分一厘間違いのないと。
 信じておるからこそまたそう言う心の安心が頂けておったと思うのです。ですから教祖の言ならば、親先生の言う事を良く守って本当に親先生は嘘を仰っしゃつて無いと言う事実を、おかげの上で現して初めてなら生まれてくるのがこの生きても死んでも天と地は我が住家と思えと言う様な、言うならば安心の境地を、体得するとはそう言う事ではなかろうかと、私は思います。
   どうぞ